ISBN:4478030987 単行本 「地球の歩き方」編集室 ダイヤモンドビッグ社 2004/05 ¥1,764
子供の頃、海外旅行=ハワイだと思っていた。
初めて行った海外は当たり前のようにハワイだった。
結婚する前はよくハワイに行った。
ハワイは買い物好きの女性なら何度行っても飽きないところだと思う。
街とリゾートが一緒に楽しめるところもいい。
ハワイに行けば日常の些細なイヤな出来事なんてすぐに吹き飛んでしまう。
最近は大好きなハワイにもなかなか行けなくなってしまったけど。
今度行くときはオアフだけじゃなくハワイ島やカウアイ島に泊まりたいなぁ。
日帰りのツアーで行ったことはあるけど泊まったことがないから。
子供の頃、海外旅行=ハワイだと思っていた。
初めて行った海外は当たり前のようにハワイだった。
結婚する前はよくハワイに行った。
ハワイは買い物好きの女性なら何度行っても飽きないところだと思う。
街とリゾートが一緒に楽しめるところもいい。
ハワイに行けば日常の些細なイヤな出来事なんてすぐに吹き飛んでしまう。
最近は大好きなハワイにもなかなか行けなくなってしまったけど。
今度行くときはオアフだけじゃなくハワイ島やカウアイ島に泊まりたいなぁ。
日帰りのツアーで行ったことはあるけど泊まったことがないから。
ISBN:447805293X 単行本 「地球の歩き方」編集室 ダイヤモンドビッグ社 2002/05 ¥1,407
ホントはグアムよりサイパンのほうが好き。
のんびりしてて寂れてて。
だけど、海と空がどこまでも青くて、緑が濃くて。
でも、サイパンに一緒に行ってくれる友人は少ない。
グアム・サイパンなら買い物が出来るグアムに軍配を上げる友人多数。
もぐったり、マリンスポーツしたりするのがだーい好き!じゃないと、あまり魅力を感じない場所なのかも。
私はもぐるのもマリンスポーツもしないんだけど。
ぼーっとしているだけでいいと思うんだけど。
思い出のいっぱい詰まったサイパンにまた行きたいな。
ホントはグアムよりサイパンのほうが好き。
のんびりしてて寂れてて。
だけど、海と空がどこまでも青くて、緑が濃くて。
でも、サイパンに一緒に行ってくれる友人は少ない。
グアム・サイパンなら買い物が出来るグアムに軍配を上げる友人多数。
もぐったり、マリンスポーツしたりするのがだーい好き!じゃないと、あまり魅力を感じない場所なのかも。
私はもぐるのもマリンスポーツもしないんだけど。
ぼーっとしているだけでいいと思うんだけど。
思い出のいっぱい詰まったサイパンにまた行きたいな。
ISBN:4478031193 単行本 「地球の歩き方」編集室 ダイヤモンドビッグ社 2004/05 ¥1,722
まさかあんなに臭いとは思いませんでした、香港が。
空港へ着くなり「私、ここ苦手かもー」と凹みました。
街中はごちゃごちゃしてるし、汚いし、臭いし、湿気もすごくて、なんかやだー。もう帰りたーい。
・・と思ったけど、だんだん臭いのも汚いのも慣れてくるもんなんですね。
着ている服が湿るほどの湿気だけは最後まで慣れなかったけど。
最近はあんまり人気ないみたいですが、“食”と“買い物”魂は満たしてくれる場所だと思います。
もう行かなくてもいいかな、って感じだけど、朝粥食べたーい!
まさかあんなに臭いとは思いませんでした、香港が。
空港へ着くなり「私、ここ苦手かもー」と凹みました。
街中はごちゃごちゃしてるし、汚いし、臭いし、湿気もすごくて、なんかやだー。もう帰りたーい。
・・と思ったけど、だんだん臭いのも汚いのも慣れてくるもんなんですね。
着ている服が湿るほどの湿気だけは最後まで慣れなかったけど。
最近はあんまり人気ないみたいですが、“食”と“買い物”魂は満たしてくれる場所だと思います。
もう行かなくてもいいかな、って感じだけど、朝粥食べたーい!
ISBN:447805214X 単行本 地球の歩き方編集室 ダイヤモンドビッグ社 2003/12/13 ¥1,764
新婚旅行で1度行ったきりのイタリアもまた行きたいところのひとつ。
ローマも良かったけど、私が気に入ったのはフィレンツェ。
フィレンツェにある“レオ・イン・サンタクローチェ”というリストランテが気に入って滞在中何度も足を運んでしまいました
町並も素敵だし、美術館やお洒落なお店が沢山あって、町を歩いているだけでも優雅な気持ちになれます。
イタリア滞在中食べたものの中で何が一番美味しかったかというと、意外にもピサの空港で食べたピザ(笑)。
今度はグランブルーの舞台になったシチリア島へも行ってみたいな。
いつかまた行けますように。
新婚旅行で1度行ったきりのイタリアもまた行きたいところのひとつ。
ローマも良かったけど、私が気に入ったのはフィレンツェ。
フィレンツェにある“レオ・イン・サンタクローチェ”というリストランテが気に入って滞在中何度も足を運んでしまいました
町並も素敵だし、美術館やお洒落なお店が沢山あって、町を歩いているだけでも優雅な気持ちになれます。
イタリア滞在中食べたものの中で何が一番美味しかったかというと、意外にもピサの空港で食べたピザ(笑)。
今度はグランブルーの舞台になったシチリア島へも行ってみたいな。
いつかまた行けますように。
ISBN:4478052859 単行本 「地球の歩き方」編集室 ダイヤモンドビッグ社 2003/11 ¥1,449
行く事になりました。
5回めのグアムです。
最近はグアムも随分賑やかになりましたね。
アミューズメント施設やお店が増えて遊ぶや買い物に事欠かなくなりました。
私は今みたいに賑やかじゃなかった10数年前のグアムのほうが好きでした。
あれはあれで味があったと思うんだけどなー。
今回は島の南側のほうへ行ってみようと思ってます。
行く事になりました。
5回めのグアムです。
最近はグアムも随分賑やかになりましたね。
アミューズメント施設やお店が増えて遊ぶや買い物に事欠かなくなりました。
私は今みたいに賑やかじゃなかった10数年前のグアムのほうが好きでした。
あれはあれで味があったと思うんだけどなー。
今回は島の南側のほうへ行ってみようと思ってます。
昼行高速バスのススメ。
2004年9月26日 旅行先日大阪へ行くのに昼行の高速バスを利用したのだが、これが想像以上に良かった。
私の周りにも「いいよ」とおススメしておいた。
結構反響あり。
夜行の高速バスは安い交通費で、かつ時間を有効に利用するという点で、非常に優れた交通手段だと思う。
仕事が終わってからバスに乗り込み、翌朝には大阪に着く。
大阪で丸一日遊んで、また夜行バスで東京に戻る車中2泊現地0泊の強行日程も夜行バスを利用すれば可能。(すっごく疲れるからおススメしないけど)
私も安さに惹かれて何度か利用した。
確かに便利は便利。
だけど、車内で熟睡できないとかなりキツイ。
バスのシートはかなりゆったりしていて、リクライニングの角度も通常のバスとは比べ物にならないとは言え、シートで8時間も寝れば当然身体が痛くなる。
バスに乗り込んだらすぐに消灯で、カーテンは閉められちゃうし、走り出したら大阪までノンストップなので、あとはもう寝るしかないんだけど、なかなかぐっすりとは眠れないものなんだよねー。
周りの人のいびきがうるさくて眠れなかった・・・なんてこともあるし。
途中で目が覚めても外が見れないので、一体どこを走っているのか全くわからないっていうのもつまらないものです。
その点、昼行の高速バスは消灯もないし、「寝なくちゃいけない」っていうの前提がないのがいい。
眠ければ寝ればいいし、眠たくなければ窓の外を見るのも良し、本を読むのも良し。
飲食OKだから、お酒をちびちびやるっていうのもあり。
利用するバスは夜行と同じなので、3列独立のゆったりシートだし、トイレもちゃんとついてて安心。
途中休憩もあるから、S.Aでバスを降りてトイレへ行ったり、食べものを調達したりと、ある程度の気分転換も出来る。
想像以上に快適な移動手段なのです。
ただ、夜行と違って昼は渋滞のリスクが高いのも事実。
ただでさえ8時間もかかる移動に渋滞がプラスされるとなると、到着の時間の予想がつきません。
現に先日大阪からの帰り、愛知で事故渋滞にはまってしまい、到着が1時間以上遅れてしまいました。
移動だけで丸一日かかってしまうので、時間はあるけどお金がない!って人向きだと思います。
最近はどこへ行くのも飛行機や新幹線であっと言う間で、移動を楽しむ余裕のない旅ばかりだったので、こうして時間をかけて移動することが新鮮に感じる。
新幹線や高速道路がない時代、東京ー大阪間は気が遠くなるほど時間がかかったんだろうなぁ。
今度大阪へ行くときも時間があればまた利用したいし、機会があれば日本のいろんなところへ高速バスや在来線を利用して行ってみたいな、なんて思ってしまった。
私の周りにも「いいよ」とおススメしておいた。
結構反響あり。
夜行の高速バスは安い交通費で、かつ時間を有効に利用するという点で、非常に優れた交通手段だと思う。
仕事が終わってからバスに乗り込み、翌朝には大阪に着く。
大阪で丸一日遊んで、また夜行バスで東京に戻る車中2泊現地0泊の強行日程も夜行バスを利用すれば可能。(すっごく疲れるからおススメしないけど)
私も安さに惹かれて何度か利用した。
確かに便利は便利。
だけど、車内で熟睡できないとかなりキツイ。
バスのシートはかなりゆったりしていて、リクライニングの角度も通常のバスとは比べ物にならないとは言え、シートで8時間も寝れば当然身体が痛くなる。
バスに乗り込んだらすぐに消灯で、カーテンは閉められちゃうし、走り出したら大阪までノンストップなので、あとはもう寝るしかないんだけど、なかなかぐっすりとは眠れないものなんだよねー。
周りの人のいびきがうるさくて眠れなかった・・・なんてこともあるし。
途中で目が覚めても外が見れないので、一体どこを走っているのか全くわからないっていうのもつまらないものです。
その点、昼行の高速バスは消灯もないし、「寝なくちゃいけない」っていうの前提がないのがいい。
眠ければ寝ればいいし、眠たくなければ窓の外を見るのも良し、本を読むのも良し。
飲食OKだから、お酒をちびちびやるっていうのもあり。
利用するバスは夜行と同じなので、3列独立のゆったりシートだし、トイレもちゃんとついてて安心。
途中休憩もあるから、S.Aでバスを降りてトイレへ行ったり、食べものを調達したりと、ある程度の気分転換も出来る。
想像以上に快適な移動手段なのです。
ただ、夜行と違って昼は渋滞のリスクが高いのも事実。
ただでさえ8時間もかかる移動に渋滞がプラスされるとなると、到着の時間の予想がつきません。
現に先日大阪からの帰り、愛知で事故渋滞にはまってしまい、到着が1時間以上遅れてしまいました。
移動だけで丸一日かかってしまうので、時間はあるけどお金がない!って人向きだと思います。
最近はどこへ行くのも飛行機や新幹線であっと言う間で、移動を楽しむ余裕のない旅ばかりだったので、こうして時間をかけて移動することが新鮮に感じる。
新幹線や高速道路がない時代、東京ー大阪間は気が遠くなるほど時間がかかったんだろうなぁ。
今度大阪へ行くときも時間があればまた利用したいし、機会があれば日本のいろんなところへ高速バスや在来線を利用して行ってみたいな、なんて思ってしまった。
金曜日から1泊2日で大阪に行ってきた。
交通手段は昼行きの高速バスで8時間かけて東京ー大阪間を移動した。
飛行機や新幹線だとあっと言う間の大阪も、こうしてバスを使って移動してみるととても遠い場所に感じる。
昔の人はこうして時間をかけて移動していたんだろうなぁ。
心配していた渋滞にもさほどなく、2階建てバスの車窓からぼーっと外を眺めて移動するのも悪くないです。
乗ったら寝るだけの夜行高速バスにはない楽しみが昼行きの高速バスにはあると思います。
今回は東名高速を使った東海道コースを利用したけど、次は中央道コースに乗ってみたいな。
ちなみに今回の旅行の目的は、
昼行きの高速バスに乗って大阪に行ってみたかった。
それだけなんです。
交通手段は昼行きの高速バスで8時間かけて東京ー大阪間を移動した。
飛行機や新幹線だとあっと言う間の大阪も、こうしてバスを使って移動してみるととても遠い場所に感じる。
昔の人はこうして時間をかけて移動していたんだろうなぁ。
心配していた渋滞にもさほどなく、2階建てバスの車窓からぼーっと外を眺めて移動するのも悪くないです。
乗ったら寝るだけの夜行高速バスにはない楽しみが昼行きの高速バスにはあると思います。
今回は東名高速を使った東海道コースを利用したけど、次は中央道コースに乗ってみたいな。
ちなみに今回の旅行の目的は、
昼行きの高速バスに乗って大阪に行ってみたかった。
それだけなんです。
近いうちにまた行く予定。
今度は高速バスで。
夜行の高速バスには何度か乗った事があるけど、夜行バスはどうも苦手。
乗ってすぐに「消灯」されちゃうし、窓のカーテンも閉められちゃうから。
消灯は良しとしても、外の景色が全く見えないのって精神的にきつい。
眠れなくても車窓をぼんやり見ていたいから。
それに、大阪到着時刻が早すぎ。
午前6時に着いても行くとこないし、朝日が眩しくて頭がくらくらしちゃう。
そんな理由もあって最近は新幹線ばかり使ってた。
けど!
やっぱり新幹線は高い。
往復の新幹線代とホテル代で3万超。
もっと気軽にちょくちょく行きたいのに、気軽に行ける値段じゃない。
そこで、新幹線、夜行バス以外の交通手段をいろいろと調べてみたところ・・・
「昼行高速バス」っていうのがあるじゃないの!!
朝7時に東京駅を出発し、大阪着が午後3時。
しかもお値段片道6000円!!
往復なら1万円なの。
これなら気軽にちょこっと行ける。
帰りは大阪発午後の最終便で帰ってくれば、短いけど充実した大阪が楽しめるかも!?
んー、すっごく行きたくなってきた!
☆東京−大阪間をお安く行く方法については、下記のHPが役に立ちました。
一見の価値ありかと思います。(ちょっと鉄っちゃん入ってる私)
http://www.swa.gr.jp
今度は高速バスで。
夜行の高速バスには何度か乗った事があるけど、夜行バスはどうも苦手。
乗ってすぐに「消灯」されちゃうし、窓のカーテンも閉められちゃうから。
消灯は良しとしても、外の景色が全く見えないのって精神的にきつい。
眠れなくても車窓をぼんやり見ていたいから。
それに、大阪到着時刻が早すぎ。
午前6時に着いても行くとこないし、朝日が眩しくて頭がくらくらしちゃう。
そんな理由もあって最近は新幹線ばかり使ってた。
けど!
やっぱり新幹線は高い。
往復の新幹線代とホテル代で3万超。
もっと気軽にちょくちょく行きたいのに、気軽に行ける値段じゃない。
そこで、新幹線、夜行バス以外の交通手段をいろいろと調べてみたところ・・・
「昼行高速バス」っていうのがあるじゃないの!!
朝7時に東京駅を出発し、大阪着が午後3時。
しかもお値段片道6000円!!
往復なら1万円なの。
これなら気軽にちょこっと行ける。
帰りは大阪発午後の最終便で帰ってくれば、短いけど充実した大阪が楽しめるかも!?
んー、すっごく行きたくなってきた!
☆東京−大阪間をお安く行く方法については、下記のHPが役に立ちました。
一見の価値ありかと思います。(ちょっと鉄っちゃん入ってる私)
http://www.swa.gr.jp
サイパン思い出語り?
2004年5月22日 旅行○失踪
「S氏と連絡が取れないの・・・」
Yちゃんが涙ながらに相談してきたのは、S氏がサイパンへ発ってから2ヶ月発った頃だったでしょうか。
S氏からはサイパンへ渡ったあとすぐに何度か連絡が来たものの、以来ぱったりと連絡が来なくなってしまったようです。
「まだ仕事が見つからないから、私に連絡が出来ないんだろうか」
「それとも新しい彼女が出来たのだろうか」
Yちゃんの不安は日に日に募り、今にでもサイパンへ探しに行きたい気持ちの毎日でした。
その頃、Yちゃんは体調を崩しおり、とても渡航など出来ない状態。
池袋の実家にも何度か電話してS氏から連絡が入ってないか尋ねてはみたものの
「行ったきり連絡がないんですよ」
と言われるばかりで何の手がかりもつかめません。
何の連絡もないまま3ヶ月、半年・・・と時は過ぎ、また実家に電話してみると
『この電話番号が現在使われておりません』
のテロップ。
Yちゃんはこのとき、S氏とはもう“終わった”んだと自分に言い聞かせたそうです。
○衝撃の事実
あれから、5年---
私とYちゃんは再びサイパンへ渡りました。
この5年の間に私たちは30代になり、私は結婚し、Yちゃんもいくつかの恋をしました。
サイパンへ行きたいと言い出したのはYちゃんでした。
「もう一度、バジルとサイパンへ行きたいの。
S氏を探そうとか、今更どうしようとか思ってないけど、もう一度S氏を暮らしたサイパンの景色を見たい。」
「なーんて言って、サイパンに行ったらS氏と会っちゃったりしてね〜。しかも女連れだったりして〜」
「有り得る〜」
この頃はもうY氏との出来事は笑話になっていました。
5年の月日は辛い出来事を少しづつ和らげてくれたようです。
私たちはあの頃と同じようにフィッシングツアーに参加しました。
ツアーで使う船は5年前を同じだったけど、経営している会社は変わっていました。
見たことのないインストラクターのお兄さんが説明している後姿にS氏の姿をだぶらせてみたりしました。
だけど、やはりそこにはS氏に姿はないのです。
インストラクターのお兄さんは5年間S氏が私たちに声をかけてきたように
「今晩飲みに行こう」
と誘ってきました。
インストラクターのお兄さんは格好よいとは言い難かったのですが、私たちは誘われるままに飲みに行くことしました。
その夜、私たちはインストラクターのお兄さんK氏とその仲間のI氏で、生演奏の入ったオープンエアのバーへ行きました。
そこで私たちは衝撃の事実を知ることになるのです。
Yちゃん「Kさんはサイパンで何年位働いてるの」
K氏「もう6年になるかなぁ。」
Yちゃん「6年?5年位前、ここでインストラクターしていたS氏知ってる?」
思わず聞いてしまったのはYちゃんでした。
K氏「ああ、知ってるよ。あれー、何で君ら、S氏を知ってるの?」
Yちゃん「・・・。うーん、まあ、ちょっと。S氏は今もサイパンにいるの?」
K氏「もうサイパンにはいないよ。カリフォルニアにいる」
Yちゃん「カリフォルニア!?」
K氏「カリフォルニア刑務所」
Yちゃん、私「!」
頭の中に“刑務所”という言葉がぐるぐると渦巻いて、言葉を失ってしまいました。
K氏の話によると、
・S氏とインストラクター仲間だったA氏は日本へ帰国後、再びサイパンへやってきて仕事を探し始めたが仕事が見つからず、○麻の密輸などをして生活費を作っていた
・FDIから○麻密輸の容疑で指名手配されたS氏とA氏はサイパン島内で逮捕され、カリフォルニアへ送還された
そうだ。
私たちはこの話を聞き、なんでもない風を装い、お酒を飲んでいた。
しかし、あまりにこの話は衝撃的だった。
悪酔いした私たちはこのあとK氏たちと赫赫然然あったのですが、この話は割愛致します(秘密)
サイパン最終日、私とYちゃんはホテルの前の砂浜に座っていました。
「今回もいろんなことがあったねー」
「うん。S氏の話、ちょっとショックだった。」
「私も。悪いことしたのは事実だけど、刑務所って聞いてショックだったよ。」
「でも、あのとき連絡できなかった理由がわかっただけでもよかった。
私、捨てられたわけじゃないんだな、って思って。」
「そうだね。連絡したくても出来なかったんだね。」
○最後に
サイパンにはこの衝撃の事実を知った後も2回ほど行きました。
Yちゃんと一緒に。
最後にサイパンに行ってからはもう4年が経とうとしています。
S氏は今頃どこで何をしているのでしょうか?
K氏はまだサイパンで働いているのでしょうか?
初めてサイパンへ行った日からもうすぐ10年。
私はやっぱりサイパンが大好きです。
私は近いうちにまたサイパンの青い海と空に会いに行こうと思ってます。
ーおしまいー
最後まで読んでくれてありがとう!
「S氏と連絡が取れないの・・・」
Yちゃんが涙ながらに相談してきたのは、S氏がサイパンへ発ってから2ヶ月発った頃だったでしょうか。
S氏からはサイパンへ渡ったあとすぐに何度か連絡が来たものの、以来ぱったりと連絡が来なくなってしまったようです。
「まだ仕事が見つからないから、私に連絡が出来ないんだろうか」
「それとも新しい彼女が出来たのだろうか」
Yちゃんの不安は日に日に募り、今にでもサイパンへ探しに行きたい気持ちの毎日でした。
その頃、Yちゃんは体調を崩しおり、とても渡航など出来ない状態。
池袋の実家にも何度か電話してS氏から連絡が入ってないか尋ねてはみたものの
「行ったきり連絡がないんですよ」
と言われるばかりで何の手がかりもつかめません。
何の連絡もないまま3ヶ月、半年・・・と時は過ぎ、また実家に電話してみると
『この電話番号が現在使われておりません』
のテロップ。
Yちゃんはこのとき、S氏とはもう“終わった”んだと自分に言い聞かせたそうです。
○衝撃の事実
あれから、5年---
私とYちゃんは再びサイパンへ渡りました。
この5年の間に私たちは30代になり、私は結婚し、Yちゃんもいくつかの恋をしました。
サイパンへ行きたいと言い出したのはYちゃんでした。
「もう一度、バジルとサイパンへ行きたいの。
S氏を探そうとか、今更どうしようとか思ってないけど、もう一度S氏を暮らしたサイパンの景色を見たい。」
「なーんて言って、サイパンに行ったらS氏と会っちゃったりしてね〜。しかも女連れだったりして〜」
「有り得る〜」
この頃はもうY氏との出来事は笑話になっていました。
5年の月日は辛い出来事を少しづつ和らげてくれたようです。
私たちはあの頃と同じようにフィッシングツアーに参加しました。
ツアーで使う船は5年前を同じだったけど、経営している会社は変わっていました。
見たことのないインストラクターのお兄さんが説明している後姿にS氏の姿をだぶらせてみたりしました。
だけど、やはりそこにはS氏に姿はないのです。
インストラクターのお兄さんは5年間S氏が私たちに声をかけてきたように
「今晩飲みに行こう」
と誘ってきました。
インストラクターのお兄さんは格好よいとは言い難かったのですが、私たちは誘われるままに飲みに行くことしました。
その夜、私たちはインストラクターのお兄さんK氏とその仲間のI氏で、生演奏の入ったオープンエアのバーへ行きました。
そこで私たちは衝撃の事実を知ることになるのです。
Yちゃん「Kさんはサイパンで何年位働いてるの」
K氏「もう6年になるかなぁ。」
Yちゃん「6年?5年位前、ここでインストラクターしていたS氏知ってる?」
思わず聞いてしまったのはYちゃんでした。
K氏「ああ、知ってるよ。あれー、何で君ら、S氏を知ってるの?」
Yちゃん「・・・。うーん、まあ、ちょっと。S氏は今もサイパンにいるの?」
K氏「もうサイパンにはいないよ。カリフォルニアにいる」
Yちゃん「カリフォルニア!?」
K氏「カリフォルニア刑務所」
Yちゃん、私「!」
頭の中に“刑務所”という言葉がぐるぐると渦巻いて、言葉を失ってしまいました。
K氏の話によると、
・S氏とインストラクター仲間だったA氏は日本へ帰国後、再びサイパンへやってきて仕事を探し始めたが仕事が見つからず、○麻の密輸などをして生活費を作っていた
・FDIから○麻密輸の容疑で指名手配されたS氏とA氏はサイパン島内で逮捕され、カリフォルニアへ送還された
そうだ。
私たちはこの話を聞き、なんでもない風を装い、お酒を飲んでいた。
しかし、あまりにこの話は衝撃的だった。
悪酔いした私たちはこのあとK氏たちと赫赫然然あったのですが、この話は割愛致します(秘密)
サイパン最終日、私とYちゃんはホテルの前の砂浜に座っていました。
「今回もいろんなことがあったねー」
「うん。S氏の話、ちょっとショックだった。」
「私も。悪いことしたのは事実だけど、刑務所って聞いてショックだったよ。」
「でも、あのとき連絡できなかった理由がわかっただけでもよかった。
私、捨てられたわけじゃないんだな、って思って。」
「そうだね。連絡したくても出来なかったんだね。」
○最後に
サイパンにはこの衝撃の事実を知った後も2回ほど行きました。
Yちゃんと一緒に。
最後にサイパンに行ってからはもう4年が経とうとしています。
S氏は今頃どこで何をしているのでしょうか?
K氏はまだサイパンで働いているのでしょうか?
初めてサイパンへ行った日からもうすぐ10年。
私はやっぱりサイパンが大好きです。
私は近いうちにまたサイパンの青い海と空に会いに行こうと思ってます。
ーおしまいー
最後まで読んでくれてありがとう!
サイパン思い出語り?
2004年5月21日 旅行○サイパン再び
インストラクターS氏のアパートに泊まった私たちは、翌朝早くにホテルまで送ってもらいました。
どうやらYちゃんとS氏はかなりいい感じになったようです。
私はその時多くをYちゃんから聞き出しはしませんでした。
自分の中に少し妬っかみもあったんだと思います。
私たちは沢山の思い出を胸にサイパンをあとにしました。
サイパンから帰って、2週間後私はYちゃんと食事をしました。
それはサイパンで撮った写真の交換のためでした。
そこでYちゃんは思わぬことを言ったのです。
「私、今月末で仕事を辞めるでしょう。そしたら、サイパンへ行ってSさんと暮らそうと思ってるの。Sさんも呼んでくれてるし。」
仕事を辞めることは前々から決まっていたけど、一緒に暮らすってどういうこと!?
まぁ、好きになったら命がけ!のYちゃんのことだから、こんなこともありかな・・・と思い、私は
「そうだね。行って来なよ」と言ったのでした。
それから、さらに2週間後。
Yちゃんはサイパンに行ってしまいました。
落ち着いたら手紙を書くから・・・とだけ言い残して。
私は「ヒマなときにでも読んで」と言ってYちゃんに数冊の小説をいくつかのCDを渡しました。
しかし、Yちゃんからは手紙も電話もなく、気が付けば夏も終わろうとしていました。
○突然の帰国
それはある日突然のことでした。
Yちゃんからから電話がかかってきたのです。
「私ね、昨日、日本に帰ってきたの。
Sさんも今週中には日本に帰ってくるわ。」
サイパンで暮らすと言っていたYちゃんの帰国は思いがけず早くて、何があったのか聞いてみると・・・
・S氏の勤めているフィッシングツアーの会社(日系企業)が業績不振でサイパンから撤退することになった。
・S氏はその会社の契約社員だったので、その次点で契約が切れ失業。
・S氏のアパートは会社で借り上げているものなので、撤退と同時に立ち退かなければならない。
・S氏はサイパン島内で仕事を探したが見つからず、所持金もなかったのでアパートを借りることができなかった
こんな感じの理由でS氏、Yちゃんともども帰国せざるを得ない状態になってしまったのだそうな。
帰国後もS氏とYちゃんはそれなりに付き合っていたようです。
私は帰国後S氏に一度だけ会いました。
サイパンで見たときより少し色が白くなって髪が伸びていたけど、相変わらず格好良くて
「ああ、Yちゃんが羨ましいなぁ」
と心底思ったりもしたのでした。
○S氏サイパンへ
しばらくは日本でバイトをしながら暮らしていたS氏ですが、彼にはまたサイパンで働きたいという強い思いがありました。
S氏は以前S氏のアパートで私の横で眠っていた元インストラクター仲間のA氏と一緒に再度サイパンへ行くことを決めました。
しばらくは現地の仲間のアパートを点々としながら、仕事を探すと言うのです。
Yちゃんももちろん着いて行きたいと言う思いはありました。
でも、まだ仕事も部屋も決まってない状態でYちゃんを連れて行けるはずもありません。
「仕事が見つかって少し落ち着いたら、また必ず呼ぶから。
それまで待っていてくれ」
Yちゃんに言い残し、S氏はサイパンへまた旅立って行きました。
このときYちゃんが空港で見たS氏の最後の姿になろうとは、誰が予測できたでしょうか。
※ここからが架橋です。続きは明日。
インストラクターS氏のアパートに泊まった私たちは、翌朝早くにホテルまで送ってもらいました。
どうやらYちゃんとS氏はかなりいい感じになったようです。
私はその時多くをYちゃんから聞き出しはしませんでした。
自分の中に少し妬っかみもあったんだと思います。
私たちは沢山の思い出を胸にサイパンをあとにしました。
サイパンから帰って、2週間後私はYちゃんと食事をしました。
それはサイパンで撮った写真の交換のためでした。
そこでYちゃんは思わぬことを言ったのです。
「私、今月末で仕事を辞めるでしょう。そしたら、サイパンへ行ってSさんと暮らそうと思ってるの。Sさんも呼んでくれてるし。」
仕事を辞めることは前々から決まっていたけど、一緒に暮らすってどういうこと!?
まぁ、好きになったら命がけ!のYちゃんのことだから、こんなこともありかな・・・と思い、私は
「そうだね。行って来なよ」と言ったのでした。
それから、さらに2週間後。
Yちゃんはサイパンに行ってしまいました。
落ち着いたら手紙を書くから・・・とだけ言い残して。
私は「ヒマなときにでも読んで」と言ってYちゃんに数冊の小説をいくつかのCDを渡しました。
しかし、Yちゃんからは手紙も電話もなく、気が付けば夏も終わろうとしていました。
○突然の帰国
それはある日突然のことでした。
Yちゃんからから電話がかかってきたのです。
「私ね、昨日、日本に帰ってきたの。
Sさんも今週中には日本に帰ってくるわ。」
サイパンで暮らすと言っていたYちゃんの帰国は思いがけず早くて、何があったのか聞いてみると・・・
・S氏の勤めているフィッシングツアーの会社(日系企業)が業績不振でサイパンから撤退することになった。
・S氏はその会社の契約社員だったので、その次点で契約が切れ失業。
・S氏のアパートは会社で借り上げているものなので、撤退と同時に立ち退かなければならない。
・S氏はサイパン島内で仕事を探したが見つからず、所持金もなかったのでアパートを借りることができなかった
こんな感じの理由でS氏、Yちゃんともども帰国せざるを得ない状態になってしまったのだそうな。
帰国後もS氏とYちゃんはそれなりに付き合っていたようです。
私は帰国後S氏に一度だけ会いました。
サイパンで見たときより少し色が白くなって髪が伸びていたけど、相変わらず格好良くて
「ああ、Yちゃんが羨ましいなぁ」
と心底思ったりもしたのでした。
○S氏サイパンへ
しばらくは日本でバイトをしながら暮らしていたS氏ですが、彼にはまたサイパンで働きたいという強い思いがありました。
S氏は以前S氏のアパートで私の横で眠っていた元インストラクター仲間のA氏と一緒に再度サイパンへ行くことを決めました。
しばらくは現地の仲間のアパートを点々としながら、仕事を探すと言うのです。
Yちゃんももちろん着いて行きたいと言う思いはありました。
でも、まだ仕事も部屋も決まってない状態でYちゃんを連れて行けるはずもありません。
「仕事が見つかって少し落ち着いたら、また必ず呼ぶから。
それまで待っていてくれ」
Yちゃんに言い残し、S氏はサイパンへまた旅立って行きました。
このときYちゃんが空港で見たS氏の最後の姿になろうとは、誰が予測できたでしょうか。
※ここからが架橋です。続きは明日。
サイパン思い出語り?
2004年5月16日 旅行○前夜祭
サイパンに着いた私たちはいつになく浮かれていました。
私は結婚式まで決まっていた恋人と別れてフリー。
思えば10代後半から相手は変われど常に彼氏がいた私にとって、10年ぶりのフリーでした。
誰にも縛られていないという開放感がサイパンでの私をとても大胆にしました。
Yちゃんもその時私と同じフリー。数年付き合っていた彼氏と別れ、翌月には会社も辞めることになっていたYちゃんは私以上に開放的になっていたように思います。
私たちは行く場所行く場所で日本人観光客と思しき頭の弱そうな男性グループに声をかけられ、一緒に食事に行ったり、相手のホテルに遊びに行ったり・・・
いくら海外だからって羽目外しすぎじゃない?ってくらい、羽目外しまくってました。
サイパン3日め。
私たちはフィッシングのツアーに参加しました。
インストラクターは真っ黒にやけたカッコイイ日本人男性。
「わー、あの人カッコイイ〜」と相変わらず馬鹿みたいに盛り上がる私たち。
船の上では一言、二言しか話さなかったのですが、船を下りるときインストラクターのお兄さんが
「今夜は○○○(お店の名前)で遊んでいるから、ヒマだったらおいで」と嬉しいお誘い。
その夜はめかしこんで彼の指定したお店へ。
そのお店はサイパン島内では結構有名な生演奏の入ったバー&レストラン。
プールバーも併設しており、彼はそこで何人かの日本人、ローカルたちと玉を打ってました。
私たちが店に入ると、一緒に遊んでいた数人が自己紹介をはじめめ、彼の名前をそこで始めて聞きました。
「オレ、Sっていうんだ。こっちへきて半年・・・」
そんな当たり前の自己紹介のあと、皆で飲み始め・・・和気藹々とやっていたような気がするのですが、初っ端から強いお酒でがんがん飛ばしていた私は・・・・
途中から記憶がないのです。
(お酒で記憶をなくしたのはこれが初めての経験でした。)
気が付いたら私たちはインストラクターSさんの部屋に居ました。
・・・というよりSさんの部屋のベッドの片隅で寝ていたというほうが正しいかもしれません。
横を見ると、横でSさんではない日本人の男性ががーがーと大きないびきをかいて寝てました。
あれ?Yちゃんは・・・と思って、部屋を見渡すと、YちゃんはSさんとベランダに二人並んで喋ってました。
聞き耳を立てたわけではないけれど、二人の会話から推測するに、どうやらSさんはYちゃんが気に入っているみたい・・・と思った瞬間、私はまた深い睡魔に襲われてしまいました。
書き始めたらエライ長い話になりそうな予感・・・!
とりあえず、まだ前書き程度。
続きはまた来週!
See You Next!
サイパンに着いた私たちはいつになく浮かれていました。
私は結婚式まで決まっていた恋人と別れてフリー。
思えば10代後半から相手は変われど常に彼氏がいた私にとって、10年ぶりのフリーでした。
誰にも縛られていないという開放感がサイパンでの私をとても大胆にしました。
Yちゃんもその時私と同じフリー。数年付き合っていた彼氏と別れ、翌月には会社も辞めることになっていたYちゃんは私以上に開放的になっていたように思います。
私たちは行く場所行く場所で日本人観光客と思しき頭の弱そうな男性グループに声をかけられ、一緒に食事に行ったり、相手のホテルに遊びに行ったり・・・
いくら海外だからって羽目外しすぎじゃない?ってくらい、羽目外しまくってました。
サイパン3日め。
私たちはフィッシングのツアーに参加しました。
インストラクターは真っ黒にやけたカッコイイ日本人男性。
「わー、あの人カッコイイ〜」と相変わらず馬鹿みたいに盛り上がる私たち。
船の上では一言、二言しか話さなかったのですが、船を下りるときインストラクターのお兄さんが
「今夜は○○○(お店の名前)で遊んでいるから、ヒマだったらおいで」と嬉しいお誘い。
その夜はめかしこんで彼の指定したお店へ。
そのお店はサイパン島内では結構有名な生演奏の入ったバー&レストラン。
プールバーも併設しており、彼はそこで何人かの日本人、ローカルたちと玉を打ってました。
私たちが店に入ると、一緒に遊んでいた数人が自己紹介をはじめめ、彼の名前をそこで始めて聞きました。
「オレ、Sっていうんだ。こっちへきて半年・・・」
そんな当たり前の自己紹介のあと、皆で飲み始め・・・和気藹々とやっていたような気がするのですが、初っ端から強いお酒でがんがん飛ばしていた私は・・・・
途中から記憶がないのです。
(お酒で記憶をなくしたのはこれが初めての経験でした。)
気が付いたら私たちはインストラクターSさんの部屋に居ました。
・・・というよりSさんの部屋のベッドの片隅で寝ていたというほうが正しいかもしれません。
横を見ると、横でSさんではない日本人の男性ががーがーと大きないびきをかいて寝てました。
あれ?Yちゃんは・・・と思って、部屋を見渡すと、YちゃんはSさんとベランダに二人並んで喋ってました。
聞き耳を立てたわけではないけれど、二人の会話から推測するに、どうやらSさんはYちゃんが気に入っているみたい・・・と思った瞬間、私はまた深い睡魔に襲われてしまいました。
書き始めたらエライ長い話になりそうな予感・・・!
とりあえず、まだ前書き程度。
続きはまた来週!
See You Next!
サイパン思い出語り?
2004年5月15日 旅行○サイパン発上陸
サイパンは私にとって思い出の沢山詰まった島です。
今まで海外はハワイやグアム、イタリアなどいくつか行って、どの場所にも沢山の思い出があるのですが、サイパンにはもっと何か特別な思いがあります。
あまりにディープな話にフィクション?かと思われるかもしれませんが、ここで書く話は全て本当にあった出来事です。
そんなサイパンの思い出をちょっと書いてみようかと思います。
私が初めてサイパンを訪れたのは今から8年前。
それ以前にハワイとグアムへ何度か行っていた私にとって、サイパンは三つ目の外国でした。
サイパンは“グアム・サイパン”と一括りにされることが多く、私もグアムとサイパンは同じようなところと勝手に思ってました。
確かに似てはいるのです。
でも、グアムとサイパンは決定的に違うのです。
グアムはアメリカ合衆国、サイパンは北マリアナ連邦。
グアムは田舎と言えど、ビーチロードをちょっと離れればアメリカの軍人さんや家族がそこかしこに居てアメリカを感じられます。
他方、サイパンでは現地のチェモロ人と日本人及び韓国・中国人観光客だけしか見当たりません。
こういった居住する人種的なことや歴史的な背景もさながら、それだけでなく何かもっと言葉ではうまく言えない何かが違うような気がするのです。
初めてサイパンの空港に降り立ったとき。
わー、なんて空と海が青いんだろう。そして緑が濃い。
というのが最初の感想でした。
島の中心部のガラパン地区や経済の中心とされているススペ地区には大きなホテルや免税店などが立ち並んでいるけど、そこから数10メートルも離れればジャングルが広がっています。
それは私が何年か前にテレビの特集で観た第二次世界大戦の繰り広げられたサイパンそのものの景色でした。
私は有休を取り、友人のYちゃんとサイパンにやってきました。
Yちゃんはこれが初めての海外旅行ということもあり、サイパンの海と空の青さに大はしゃぎ。
私はちょうどその何ヶ月か前、結婚式まで決まっていた恋人と別れたばかり。
「これからまた人生仕切り直し!」とばかりに意気込んでました。
☆続きは明日
サイパンは私にとって思い出の沢山詰まった島です。
今まで海外はハワイやグアム、イタリアなどいくつか行って、どの場所にも沢山の思い出があるのですが、サイパンにはもっと何か特別な思いがあります。
あまりにディープな話にフィクション?かと思われるかもしれませんが、ここで書く話は全て本当にあった出来事です。
そんなサイパンの思い出をちょっと書いてみようかと思います。
私が初めてサイパンを訪れたのは今から8年前。
それ以前にハワイとグアムへ何度か行っていた私にとって、サイパンは三つ目の外国でした。
サイパンは“グアム・サイパン”と一括りにされることが多く、私もグアムとサイパンは同じようなところと勝手に思ってました。
確かに似てはいるのです。
でも、グアムとサイパンは決定的に違うのです。
グアムはアメリカ合衆国、サイパンは北マリアナ連邦。
グアムは田舎と言えど、ビーチロードをちょっと離れればアメリカの軍人さんや家族がそこかしこに居てアメリカを感じられます。
他方、サイパンでは現地のチェモロ人と日本人及び韓国・中国人観光客だけしか見当たりません。
こういった居住する人種的なことや歴史的な背景もさながら、それだけでなく何かもっと言葉ではうまく言えない何かが違うような気がするのです。
初めてサイパンの空港に降り立ったとき。
わー、なんて空と海が青いんだろう。そして緑が濃い。
というのが最初の感想でした。
島の中心部のガラパン地区や経済の中心とされているススペ地区には大きなホテルや免税店などが立ち並んでいるけど、そこから数10メートルも離れればジャングルが広がっています。
それは私が何年か前にテレビの特集で観た第二次世界大戦の繰り広げられたサイパンそのものの景色でした。
私は有休を取り、友人のYちゃんとサイパンにやってきました。
Yちゃんはこれが初めての海外旅行ということもあり、サイパンの海と空の青さに大はしゃぎ。
私はちょうどその何ヶ月か前、結婚式まで決まっていた恋人と別れたばかり。
「これからまた人生仕切り直し!」とばかりに意気込んでました。
☆続きは明日
金曜日から大阪へ行ってきました。
大阪へはこの1年でもう3度行っているので(私が今年都心へ出た回数より多かったりして)、なんとなく慣れ親しんだ街になってきました。
今回も江坂に泊まって、梅田〜心斎橋〜なんばで買い物して、友人のいる岸和田へ。
前回と全く変わらないコース(笑)。
(以降はあとで)
大阪へはこの1年でもう3度行っているので(私が今年都心へ出た回数より多かったりして)、なんとなく慣れ親しんだ街になってきました。
今回も江坂に泊まって、梅田〜心斎橋〜なんばで買い物して、友人のいる岸和田へ。
前回と全く変わらないコース(笑)。
(以降はあとで)
初めての海外旅行はハワイでした。
今から10年以上前のことです。
一緒に行った友人も私も海外は初めてだったので、かなり気合が入っていて、
「これが独身最初で最後の海外旅行よ!楽しまなくちゃ!」
くらいの勢いでした(笑)。
(実際はその後何度も「独身最後の旅行」に行ったような気がしますが・・。)
シェラトンモアナサーフライダーに泊まり、夜は“ハイズ”やロイヤルハワイアンでディナー三昧。
昼間はビーチでごろごろしたり、カウアイ島やハワイ島へ遠征したり、アラモアナでブランド品を買い漁り。
今思えば、かなりリッチな旅でした。
その後何度かハワイへ行ったのですが、二度目、三度目・・と回を重ねるごとにホテルの格は落ち、最後に泊まったホテルは、部屋に窓さえない有様。
さすがにあの時は、窓を開けて海も街も何も見えなくてもいいから、窓くらいあって欲しいと思ったわ。
(囚人部屋みたいで怖かったんだもん)
食事も全てファーストフードで済ませるようになってしまいました。
まぁ、1週間くらいファーストフードでもたいした不都合はないのですが・・・。
さすがに栄養が偏ってしまうみたいで、帰ってから口の中に10数個も口内炎が出来るという悲惨な目に遭いましたが・・・。
もう何年ハワイへ行ってないでしょうか。
グアムやサイパンには最近も行ってるのですが、なかなかハワイには行けません。
最近はツアーの値段もグアムやサイパンと変わらないし、行く気になれば行けるのに。
一緒に行く友人と休みの都合をつけたり・・・とかしているうちに、安・近・短のグアムやサイパンに落ち着いてしまう。
そろそろ本気でハワイに行きたくなってきました。
今年こそは行きたいものです。
今から10年以上前のことです。
一緒に行った友人も私も海外は初めてだったので、かなり気合が入っていて、
「これが独身最初で最後の海外旅行よ!楽しまなくちゃ!」
くらいの勢いでした(笑)。
(実際はその後何度も「独身最後の旅行」に行ったような気がしますが・・。)
シェラトンモアナサーフライダーに泊まり、夜は“ハイズ”やロイヤルハワイアンでディナー三昧。
昼間はビーチでごろごろしたり、カウアイ島やハワイ島へ遠征したり、アラモアナでブランド品を買い漁り。
今思えば、かなりリッチな旅でした。
その後何度かハワイへ行ったのですが、二度目、三度目・・と回を重ねるごとにホテルの格は落ち、最後に泊まったホテルは、部屋に窓さえない有様。
さすがにあの時は、窓を開けて海も街も何も見えなくてもいいから、窓くらいあって欲しいと思ったわ。
(囚人部屋みたいで怖かったんだもん)
食事も全てファーストフードで済ませるようになってしまいました。
まぁ、1週間くらいファーストフードでもたいした不都合はないのですが・・・。
さすがに栄養が偏ってしまうみたいで、帰ってから口の中に10数個も口内炎が出来るという悲惨な目に遭いましたが・・・。
もう何年ハワイへ行ってないでしょうか。
グアムやサイパンには最近も行ってるのですが、なかなかハワイには行けません。
最近はツアーの値段もグアムやサイパンと変わらないし、行く気になれば行けるのに。
一緒に行く友人と休みの都合をつけたり・・・とかしているうちに、安・近・短のグアムやサイパンに落ち着いてしまう。
そろそろ本気でハワイに行きたくなってきました。
今年こそは行きたいものです。
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