サイパン思い出語り?
2004年5月22日 旅行○失踪
「S氏と連絡が取れないの・・・」
Yちゃんが涙ながらに相談してきたのは、S氏がサイパンへ発ってから2ヶ月発った頃だったでしょうか。
S氏からはサイパンへ渡ったあとすぐに何度か連絡が来たものの、以来ぱったりと連絡が来なくなってしまったようです。
「まだ仕事が見つからないから、私に連絡が出来ないんだろうか」
「それとも新しい彼女が出来たのだろうか」
Yちゃんの不安は日に日に募り、今にでもサイパンへ探しに行きたい気持ちの毎日でした。
その頃、Yちゃんは体調を崩しおり、とても渡航など出来ない状態。
池袋の実家にも何度か電話してS氏から連絡が入ってないか尋ねてはみたものの
「行ったきり連絡がないんですよ」
と言われるばかりで何の手がかりもつかめません。
何の連絡もないまま3ヶ月、半年・・・と時は過ぎ、また実家に電話してみると
『この電話番号が現在使われておりません』
のテロップ。
Yちゃんはこのとき、S氏とはもう“終わった”んだと自分に言い聞かせたそうです。
○衝撃の事実
あれから、5年---
私とYちゃんは再びサイパンへ渡りました。
この5年の間に私たちは30代になり、私は結婚し、Yちゃんもいくつかの恋をしました。
サイパンへ行きたいと言い出したのはYちゃんでした。
「もう一度、バジルとサイパンへ行きたいの。
S氏を探そうとか、今更どうしようとか思ってないけど、もう一度S氏を暮らしたサイパンの景色を見たい。」
「なーんて言って、サイパンに行ったらS氏と会っちゃったりしてね〜。しかも女連れだったりして〜」
「有り得る〜」
この頃はもうY氏との出来事は笑話になっていました。
5年の月日は辛い出来事を少しづつ和らげてくれたようです。
私たちはあの頃と同じようにフィッシングツアーに参加しました。
ツアーで使う船は5年前を同じだったけど、経営している会社は変わっていました。
見たことのないインストラクターのお兄さんが説明している後姿にS氏の姿をだぶらせてみたりしました。
だけど、やはりそこにはS氏に姿はないのです。
インストラクターのお兄さんは5年間S氏が私たちに声をかけてきたように
「今晩飲みに行こう」
と誘ってきました。
インストラクターのお兄さんは格好よいとは言い難かったのですが、私たちは誘われるままに飲みに行くことしました。
その夜、私たちはインストラクターのお兄さんK氏とその仲間のI氏で、生演奏の入ったオープンエアのバーへ行きました。
そこで私たちは衝撃の事実を知ることになるのです。
Yちゃん「Kさんはサイパンで何年位働いてるの」
K氏「もう6年になるかなぁ。」
Yちゃん「6年?5年位前、ここでインストラクターしていたS氏知ってる?」
思わず聞いてしまったのはYちゃんでした。
K氏「ああ、知ってるよ。あれー、何で君ら、S氏を知ってるの?」
Yちゃん「・・・。うーん、まあ、ちょっと。S氏は今もサイパンにいるの?」
K氏「もうサイパンにはいないよ。カリフォルニアにいる」
Yちゃん「カリフォルニア!?」
K氏「カリフォルニア刑務所」
Yちゃん、私「!」
頭の中に“刑務所”という言葉がぐるぐると渦巻いて、言葉を失ってしまいました。
K氏の話によると、
・S氏とインストラクター仲間だったA氏は日本へ帰国後、再びサイパンへやってきて仕事を探し始めたが仕事が見つからず、○麻の密輸などをして生活費を作っていた
・FDIから○麻密輸の容疑で指名手配されたS氏とA氏はサイパン島内で逮捕され、カリフォルニアへ送還された
そうだ。
私たちはこの話を聞き、なんでもない風を装い、お酒を飲んでいた。
しかし、あまりにこの話は衝撃的だった。
悪酔いした私たちはこのあとK氏たちと赫赫然然あったのですが、この話は割愛致します(秘密)
サイパン最終日、私とYちゃんはホテルの前の砂浜に座っていました。
「今回もいろんなことがあったねー」
「うん。S氏の話、ちょっとショックだった。」
「私も。悪いことしたのは事実だけど、刑務所って聞いてショックだったよ。」
「でも、あのとき連絡できなかった理由がわかっただけでもよかった。
私、捨てられたわけじゃないんだな、って思って。」
「そうだね。連絡したくても出来なかったんだね。」
○最後に
サイパンにはこの衝撃の事実を知った後も2回ほど行きました。
Yちゃんと一緒に。
最後にサイパンに行ってからはもう4年が経とうとしています。
S氏は今頃どこで何をしているのでしょうか?
K氏はまだサイパンで働いているのでしょうか?
初めてサイパンへ行った日からもうすぐ10年。
私はやっぱりサイパンが大好きです。
私は近いうちにまたサイパンの青い海と空に会いに行こうと思ってます。
ーおしまいー
最後まで読んでくれてありがとう!
「S氏と連絡が取れないの・・・」
Yちゃんが涙ながらに相談してきたのは、S氏がサイパンへ発ってから2ヶ月発った頃だったでしょうか。
S氏からはサイパンへ渡ったあとすぐに何度か連絡が来たものの、以来ぱったりと連絡が来なくなってしまったようです。
「まだ仕事が見つからないから、私に連絡が出来ないんだろうか」
「それとも新しい彼女が出来たのだろうか」
Yちゃんの不安は日に日に募り、今にでもサイパンへ探しに行きたい気持ちの毎日でした。
その頃、Yちゃんは体調を崩しおり、とても渡航など出来ない状態。
池袋の実家にも何度か電話してS氏から連絡が入ってないか尋ねてはみたものの
「行ったきり連絡がないんですよ」
と言われるばかりで何の手がかりもつかめません。
何の連絡もないまま3ヶ月、半年・・・と時は過ぎ、また実家に電話してみると
『この電話番号が現在使われておりません』
のテロップ。
Yちゃんはこのとき、S氏とはもう“終わった”んだと自分に言い聞かせたそうです。
○衝撃の事実
あれから、5年---
私とYちゃんは再びサイパンへ渡りました。
この5年の間に私たちは30代になり、私は結婚し、Yちゃんもいくつかの恋をしました。
サイパンへ行きたいと言い出したのはYちゃんでした。
「もう一度、バジルとサイパンへ行きたいの。
S氏を探そうとか、今更どうしようとか思ってないけど、もう一度S氏を暮らしたサイパンの景色を見たい。」
「なーんて言って、サイパンに行ったらS氏と会っちゃったりしてね〜。しかも女連れだったりして〜」
「有り得る〜」
この頃はもうY氏との出来事は笑話になっていました。
5年の月日は辛い出来事を少しづつ和らげてくれたようです。
私たちはあの頃と同じようにフィッシングツアーに参加しました。
ツアーで使う船は5年前を同じだったけど、経営している会社は変わっていました。
見たことのないインストラクターのお兄さんが説明している後姿にS氏の姿をだぶらせてみたりしました。
だけど、やはりそこにはS氏に姿はないのです。
インストラクターのお兄さんは5年間S氏が私たちに声をかけてきたように
「今晩飲みに行こう」
と誘ってきました。
インストラクターのお兄さんは格好よいとは言い難かったのですが、私たちは誘われるままに飲みに行くことしました。
その夜、私たちはインストラクターのお兄さんK氏とその仲間のI氏で、生演奏の入ったオープンエアのバーへ行きました。
そこで私たちは衝撃の事実を知ることになるのです。
Yちゃん「Kさんはサイパンで何年位働いてるの」
K氏「もう6年になるかなぁ。」
Yちゃん「6年?5年位前、ここでインストラクターしていたS氏知ってる?」
思わず聞いてしまったのはYちゃんでした。
K氏「ああ、知ってるよ。あれー、何で君ら、S氏を知ってるの?」
Yちゃん「・・・。うーん、まあ、ちょっと。S氏は今もサイパンにいるの?」
K氏「もうサイパンにはいないよ。カリフォルニアにいる」
Yちゃん「カリフォルニア!?」
K氏「カリフォルニア刑務所」
Yちゃん、私「!」
頭の中に“刑務所”という言葉がぐるぐると渦巻いて、言葉を失ってしまいました。
K氏の話によると、
・S氏とインストラクター仲間だったA氏は日本へ帰国後、再びサイパンへやってきて仕事を探し始めたが仕事が見つからず、○麻の密輸などをして生活費を作っていた
・FDIから○麻密輸の容疑で指名手配されたS氏とA氏はサイパン島内で逮捕され、カリフォルニアへ送還された
そうだ。
私たちはこの話を聞き、なんでもない風を装い、お酒を飲んでいた。
しかし、あまりにこの話は衝撃的だった。
悪酔いした私たちはこのあとK氏たちと赫赫然然あったのですが、この話は割愛致します(秘密)
サイパン最終日、私とYちゃんはホテルの前の砂浜に座っていました。
「今回もいろんなことがあったねー」
「うん。S氏の話、ちょっとショックだった。」
「私も。悪いことしたのは事実だけど、刑務所って聞いてショックだったよ。」
「でも、あのとき連絡できなかった理由がわかっただけでもよかった。
私、捨てられたわけじゃないんだな、って思って。」
「そうだね。連絡したくても出来なかったんだね。」
○最後に
サイパンにはこの衝撃の事実を知った後も2回ほど行きました。
Yちゃんと一緒に。
最後にサイパンに行ってからはもう4年が経とうとしています。
S氏は今頃どこで何をしているのでしょうか?
K氏はまだサイパンで働いているのでしょうか?
初めてサイパンへ行った日からもうすぐ10年。
私はやっぱりサイパンが大好きです。
私は近いうちにまたサイパンの青い海と空に会いに行こうと思ってます。
ーおしまいー
最後まで読んでくれてありがとう!
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